〈ひとりじゃない?〉
天池真理のうたに「一人じゃないって素敵なことね」というフレーズがあった。確かにそうだ思う。だけど、一人じゃないから大丈夫みたいな歌詞は最近よくあるけど、中途半端で良くないと思う。一人ぼっちだからこそ誰かを求めるのであって、逆なんだよな。孤独を極めた人こそ、真の芸術家だと思う。来年もよろしく!
<12月31日の巻のtext>
今聴いてもなかなかにポップの王道サウンドだね。
万人に愛されるよなスタイルの歌は最近あまりお目にかかれないなぁ、ザ・歌謡曲みたいのって。
歌詞といえば最近人が企画したイベントに遊びに行ったんですがそこで久々某有名ロックバンドのジ〇ムって歌を熱唱する若人を見かけましたが改めてあの歌を聴くとめっちゃ中二病な歌だよね?ガチに熱唱されると目のやり場に困っちゃうよね?困らん?中二病の歌なんだよね?あ、決してディスってるわけでなくて。
viva 中二病ソング。
疎外感、孤独と真摯に向き合って身を削ってる人が唄う生や死、出逢いや別れ、愛や嫌悪について唄った歌からはなんかすごく伝わってくるものがあるな。
ジ〇ムからそうゆう要素は感じられないけどね。
芸術家とかってよくわかんないや。
あ、決してディスってるわけではなくて。
viva 芸術家。
~looseむらやま~
〈オートハープ〉
ラヴィーン・スプーンフィルの「魔法を信じるかい?」、イントロのオートハープの音はインパクトがあった。日本では、五つの赤い風船かな。しかし、オートハープといえば、なんと言ってもカーターファミリーだ。あこがれて、オスカーシミットのオートハープを買ったのは何年前だろう。弦も大分錆び付いてきたが、全部張り替えるなら、新しいの買えちゃう?かな。ステージで使用したことがあったが、とてもマイクじゃ拾えない。ギター用のピックアップ付けてアンプから出した。それなりの音は出せた。まだまだ可能性があり面白い楽器だと思う。
<11月30日の巻のtext>
なかなかにドライヴ感溢れるパフォーマンスがめっちゃかっこいいね!
木戸君、こんだこれやろう。
~looseむらやま~
〈トラべリング・ウィルベリーズ〉
まるで、ウルトラ六兄弟全員集合みたいに視聴率稼げそうなバンドでした。レコードは2枚出ています。今、あらためて聴いてみても、やっぱいい音出してますね。残念なことに、ご健在なのはディランとジェフリンの二人だけになってしまいました。
10月2日に亡くなられたトムペティさんのご冥福を慎んでお祈りします。
<10月31日の巻のtext>
文句なしにカッコイイ!
こうゆうのやいたいんだよね。
~looseむらやま~
〈アコギ生音マイク拾いの嗜好性〉
ボブ・ディランのステージでのアコギ生音マイク拾いは、ライブエードで、太刀持ちのキース・リチャードと露払いのロン・ウッドを従えて、土俵入りした時あたりが最後だったと思う。それ以後のステージでは私は観たことがない。
だけど、やはり、アコギの生音はマイクで拾ったほうがいい。わかっちゃいるけど、バンド演奏のステージではハウリング防止など諸事情でピックアップ付きのアコギを使わざるを得なくなる。アコギ用ピックアップについては、また、いずれ書いてみたい。
話は私の中学時代に遡る。同級生のマイコーとの学園祭での「サウンド・オブ・サイレンス」。この時の演奏は、私にとってもマイコーにとっても、音楽にのめり込むきっかけとなる記念すべき演奏であった。これについてもまたいずれ書いてみようかな。
であるが、その時、確か、マイクはボーカル用2本だけだった。それなのに録音した音を聴いてみると、生ギターの音もしっかり聴こえている。それは何故かと問われたら、ベン、ベン。おそらく、無指向性マイクだったんだろう。もちろん、モニターがなかったので、ハウリングのリスクは少なかったんだと思う。
ピーター・ポール&マリーの60年代のビデオを観ると同じ事が言える。ウッドベースは別マイクだったが、ボーカル3人と生ギター2本の音をマイク2本のみで拾っていた。やはり、無嗜好性だったので、男でも女でも何でも拾った。
単一指向性マイクを用いてピンポイントで口や穴のそばを狙うようになったのは、それから何年か後のことだった。やはり、SとかMとかフェチとか、どうしても嗜好性が出てきてしまうんだろうなあ。何のこっちゃ?お後がよろしくないようで。ベン、ベン。
<9月30日の巻のtext>
悪ガキ3人な感じがいいね!
~looseむらやま~
〈帰って来たヨッパライ〉
今回は、こんなんあり?シリーズ、第何回だったっけ?フォーククルセターズのヒット曲「帰って来たヨッパライ」を取り上げてみたい。
1960年代後半、テープレコーダーの早回しを駆使して、つくったというこの曲はラジオの深夜放送で人気を博した。十歳以上年上の従兄弟の部屋でレコードを聴かせてもらったのを覚えている。それから、15年ぐらいたって、改めてレコードを買って、聴き直してみた。
この唄は単なるコミックソングではなく、臨死体験というか、哲学的な思索体験に基づいているような気がする。後に精神科医となった、北山修氏の意図したものだと思う。
同じようなシリーズで「さすらいのヨッパライ」というのもあるので、これも聴いてみてほしい。
<8月31日の巻のtext>
帰ってきたヨッパライはリアルタイムで聴いたが当時本当に流行っていたと思う(子供とかみんな真似して歌ったりしていたのを覚えてる)。僕は兄に聴かせてもらった(レコードだったかラジオだったか今となっては判然としないけど)が初めて聴いた時には子供心に人が死んだらどうなるのか、そして人の死をこんな風にコミカルに歌っていいのだろうか?(子供だからコミカルに、なんては思わなかったろうけどなんか、そんな風な感じで)なんだかいけないものを聴いてしまったようなそんな気がしました。
余談ではありますがこうの史代さん原作の大ファンで満を持した映画化(それも蓋を開けたら大ヒット!)への使用で注目を集めているフォーククルセダーズの悲しくてやりきれないのカバー、コトリンゴさんの歌声がこの曲が持っているなんだろやりきれなさやその悲しさを内包しながらもどこかに希望の淡い光が射すさまが見えるような名カバーではないだろうか。
~looseむらやま~
〈ラブソング〉
極論だが、歌は全てラブソングだ。と言えなくはないと思う。子守唄だって赤ん坊へのラブソングだし、プロテストソングだってラブソングの形を変えた表現だと言えなくはない。対象や表現方法はそれぞれ違うが、ラブソングは歌の原点と言うこともできる。
それはさておき、最近、年のせいか、ストレートなラブソングが聞きたいし、歌いたくてしょうがない。
ボブ・ディランの「Make You Feel My Love 」はかなりストレートなラブソングだと思う。世界中が敵にまわってもあなたを守るという件は相当強烈な直喩だ。サイモン&ガーファンクルの「明日にかける橋」も同じような詞の内容だったかなあ。
んじゃ、ストレートなラブソングって何?とツッコミ入れたくなる。先月に続いて、またツッコミかよ!遠回しじゃなくて、直接的な表現ならいいの?っていう訳でもないんだなあ、これが。心に直に響いてくるって感じかな。
んでもって、例によって、強引にまとめに入ると、素直にラブソングを聴きたいという心理状況は悪くはないんだろうなと思う。
<7月31日の巻のtext>
ラブソングとゆうと思い出すのが私的ラブソングのオールタイムベストのなかの1曲に入るpaul simonのstill crazy after all these yearsだろうか。
♪昔の恋人とばったり出会ったんだよ。彼女も僕と会えて楽しそうだった。~中略~時が流れてもやっぱ僕は君を好きなんだ♪ってゆうちょっと情けない男の歌なんだがなんか過去を昇華(美化でなく)してる感じの雰囲気(そして決してもう昔のようには戻れないとゆう切なさ)が歌声やエレピの音と妙にマッチしていて気に入ってます。
~looseむらやま~
〈原点回帰〉
村山さん、このコラム、2年じゃなくて、4年経過ですよ!
というわけで、どういうわけで?あんまし関係ないけど、今回は、原点について、考察してみたいと思います。
原点に縛られ過ぎると進歩がないのかな?原点とまったく違うものになってもいいと思う。だけど、原点を忘れると、往々にして本質をないがしろにして薄っぺらなものに陥ってしまうのではないのか?
仮面ライダーシリーズって未だに続いてるみたいだけど…おいらたち旧1号から知ってる世代にとってみると、「違うんじゃねえの?!」って、突っ込み入れたくなる。入れたくなるのはアソコだけじゃない。そもそも、仮面ライダーって、ゴレンジャーじゃないし、ロボットでもないし、もっと妖怪的っていうか、昆虫的っていうか、気色悪りぃー的っていうか…改造人間?なんだよね!!シリーズ全部知ってるわけじゃないし、中には原点回帰的なライダーもあるとは思う。たとえば、アギトに出ていたアナザーアギトは気色悪りぃー感があってカッコ良かったなあ。っていうか、アギトも、もうけっこう古くなっちゃったのかな?
もっと古い話だけど、1号ライダーがケガが治って(ドラマの中では海外に行ってたことになっている。)戻って来てから、変身スーツに二本線が付いてた時、「わあー?!だせー!体操着みたいじゃん!!」と感じたのはおいらだけじゃないと思う(笑)。
そう言えば、この頃からだと思う。ショッカーや怪人が自爆?するようになったのは。旧1号の頃は泡になって消え失せた。やはり、その方が気色悪りぃー感が残るし、リアリティーがあった。
そんでもって、今回、何を書きたかったのかと言えば、強引に結論付ければ、何事も原点を忘れたくないし、やっぱ、インパクトあるし。
たとえば、音楽、何が原点といえるか、人それぞれ違うとは思うが、原点を意識するということはけっこうポイント高いと思う。
原点イコール本質と言えなくはない。うわー、言い切っちゃいました!!
<6月30日の巻のtext>
え、まじか?2年じゃなくて4年!毎回原稿料払うわけでもないのに木戸君もとい木戸先生にカかせてしまってすいません、こんだまた飲み会やりましょう。
とゆうわけで6月30日の巻も興味深く読ませていただきました。
原点といえば好きな人がその昔バイトしていたお店がゲンテンとゆう名のカフェでしたがそれは広げるトコではないですね、はい、とゆうわけでそう、仮面ライダーです。
平成ライダー1発目のクウガでしたっけ?あれはなかなかに旧ライダーシリーズへのリスペクト感が溢れていてよかったよね。「改造人間」設定は無くなったものの長野県から始まったストーリーに親近感覚えたし初回の怪人は蜘蛛男、2回目が蝙蝠男とゆうところがなかなかに旧シリーズへのリスペクトだったね。怪奇なフィーリンを内包していたとこもよかった。
旧作が放映された70年代初頭はちょうど世界的に怪奇ブームがキテいたんだよね。
英国の映画会社ハマープロが1957年にフランケンシュタインを世界初カラーで撮ったのが大ヒット、翌1958年にこれまた世界初のカラーで吸血鬼ドラキュラを撮ったのがこれまた大ヒットして60年代~70年代初頭は空前の怪奇ブーム。初作の仮面ライダーが制作されたのは70年代初頭だったと思うがその映像化にあたり怪奇ムード満点の演出が採用されたのはやはり時代の必然だったんだろうと思う。初期のショッカー戦闘員も後年の目出し帽マスクに「イー!」と叫ぶ姿ではなく顔にペイントを施したスタイルだったのが印象的。初作では泡になって消えちゃったりするんだよね。
おっと前置きが長くなってスマン。
今回のtextは仮面ライダーネタにもかかわらずそのルーツになったであろうハマードラキュラシリーズ1作目「吸血鬼ドラキュラ(58年)」のラストシーン(しかも世界で唯一日本に1本だけ残されていた貴重なフィルムからの引用)と初作から数えて13年目にして再びドラキュラ(クリス・リー)とヘルシング教授(ピーター・カッシング)の対決で怪奇ファンをしびれさせた「ドラキュラ’72(71年制作)のオープニング映像。
〈フェスティバル〉
いやぁ~、前回はパスしてしまって、御免なさい。この通信始めてから初のパスだね。
思えば、これって何年続いてるんだ?
てな訳で、どんなわけで?こないだ、天狗ロックフェスティバルなる企画に参加してきました。第二ステージ、良かったねぇ。
関係ないけど、自分的には2という数字に縁があるんだよね。
二男だし、二浪して二留したし、何をやっても二流留まりだし(苦笑)。
で、第二ステージといえば、中津川フォークジャンボリーでの、伝説の吉田拓郎の第二ステージ。人間なんてララララ~🎵メインステージを凌駕してしまったという。モンタレー・ポップ・フェスティバルで頭角を現したジャニス・ジョップリンも最初はサブステージだったときく。
ニューポート・フォーク・フェスティバルで、ボブ・ディランがエレキサウンドを持ち込んで、ひんしゅくをかったという事件は語り草である。ビデオを観るとブーイングも聴こえるけど、賛否両論あったと思う。つまり、ファンが二分したということで。
今回は2という数字にこだわってみました。おあとがよろしいようで。
<5月31日の巻のtext>
吉田拓郎のセカンドステージ、なかなかに反骨精神に溢れてるね。
ジャニスのステージ、久々観たけどやっぱかっこいいね。
ボブディラン、マギーズファームかっこいいね。
そして木戸啓二郎の伝説の天狗ロックフェス伝説のセカンドステージはこちら。
因みに木戸君、このコラムも始まってから2年経過だよ。
~looseむらやま~
木戸君体調不良のため、みそかごと通信4月はお休みさせていただきます。
5月31日の巻で2か月分のボリュームにて掲載しますので震えて寝て待て!
〈引きこもりの唄〉
前回に引き続き、こんな唄もあったのか?!シリーズです。
そんなシリーズあったっけ?今作りました。
さて、今回は引きこもりの唄、井上陽水「窓をあけろ」。
最初に聴いたのは1985年ごろ、ラジオからだった。井上陽水(アンドレ・カンドレ)のバージョンだったか、モップスのバージョンだったか覚えていない。その頃、ちょうど引きこもっていた時期なので、心にしみた。
<3月31日の巻のtext>
陽水とモップスで探したが全然出てこない。出たと思ったら〇〇〇〇なカバーとかばっかで。
関係ないけど、youtubeとかで曲名で検索するとなんかカバーばっか出てきたりとかっての、よくあるよね。あれ、何とかしてほしい。カバーは別枠でまとめてほしい。
閑話休題、見つからなかったから「窓」繋がりでこちらを挙げときます。
浴室の窓から彼女が入ってくる歌です(ざっくり過ぎ)。
~looseむらやま~
〈悲しき我が心〉
こんな唄もあったんだ!という嬉しい出会いの瞬間がある。
勉学に励むでもなく、かといって、ドロップアウトして何かしようとする程の意気込みもなく、中途半端な学生生活を送っていた私には負い目があった。
それをこの唄で払拭できた気がする。
ハナ肇とクレイジーキャッツの「悲しき我が心」を初めて聴いたのは卒業して何年か経った後だった。この唄の主人公は大学八年生であるが、二浪して二流した自分にとって、同じような立場を唄った唄があるということは嬉しいものだった。この唄を聴いて、改めて学生時代を肯定することができた。そう、他人より余計に勉強したということである。勉強になりました♪
<2月28日の巻のtext>
なかなかに今見てもラウドでクレイジーなステージですね、かっこいい!
ところで中盤、ハナさんがドラムキットを飛び出して叩きまくるパフォーマンス、確かKISSのピータークリスさんとかも似たような事をやってらしたように記憶するが昭和30年代世代の自分的にはエキサイティングというよりむしろクレージーキャッツを思い出して失笑を禁じえなかった。
~looseむらやま~
〈私がボブ・ディラン・フリークもどきになったいきさつ〉
その4 その後
はたして、ディラン・ファンにとって朗報だったのだろうか?1993年、ブートレックシリーズなどというものが公式に発売され出した。その後、このシリーズはずっと続いている。ブートレック(海賊版)といえば、法外な値段で、しかも、ラベルがA面とB面逆だったり、曲目違っていたり、ひどいものだった。それらが公式アルバムとして出る。皮肉というか、笑えるが、画期的だった。私は海賊版にそんなにお金をかけてこなかったので、そう思えた。が、しかし、最近の傾向として、ブートレックシリーズはデラックスエディションとスタンダードエディションの2パターンになっていて、これがくせ者である。デラックスエディションはちょっと高くてなかなか手が出せないが、ディランファンの心情を弄ぶが如く、聴いてみたい曲が必ずある。アナザーセルフポートレイトのワイト島ライブがそうだった。スタンダードエディションには「アイル・ビー・ユア・ベイビー、トゥナイト」と「ハイウェイ61」の2曲しか入っていない。ザ・バンドとの共演で、ディランのボーカルがかなり良かった。デラックスエディションには18曲入っている。いつか、ワイト島ライブ単独で別アルバムとして出ないかなと密かに期待している。
ディランの肉声を7年ぶりに聴いたのは、1994年2月5日の横浜文化体育館だった。7年前同様、ヒライ、タカノ両氏と会場にいた。毎度のことながら、開演前、えらく緊張した。「ジョーカーマン♪」この頃のディランのステージはエンディングをディランのギターソロで長くひっぱるという特徴があった。「トゥモロー・ナイト♪」アコースティック編成も良かった。会場が体育館だったせいか親近感があり、音も直に響いてくる感じ、臨場感があって、今振り返っても、この日のステージが今まで観た中で一番良かった思う。で、このツアーで初めて追っかけもどきを体験した。せっかくディランが日本に来ているんだから、もう一度観たくなった。そして、この一週間後の2月11日、名古屋センチュリーホールで、今は亡き石原会長との運命的な出逢いが訪れるのであった。
この続きは過去の記事〈富山長野ディランズ・ネットワーク〉に記してあります。まるで、猿の惑星みたいな展開になりました。(笑)
では、今年もよろぴんく!
<1月31日の巻のtext>
ワイト島フェスの模様を挙げときます。
後者ではビートルズの面々が撮影されてますね。
ジョージのソロ1stに収録されてるif not for you、なかなかにかっちょいいですね。
~looseむらやま~